「お父さん助けて、お母さん助けて」。太平洋戦争末期の1944年8月、大勢の幼い子どもたちが乗り込み、有事が迫る沖縄から九州に向かっていた疎開船「対馬丸」が米軍の魚雷攻撃で沈んだ。いかだに乗って海を6日間漂流し、助かった沖縄県大宜味(おおぎみ)村の平良啓子さん(88)の耳には助けを求める子どもたちの声が残る。1400人あまりの命が海に消えた。悲劇は、海で隔てられた島からの避難の難しさを物語る。
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「お父さん助けて、お母さん助けて」。太平洋戦争末期の1944年8月、大勢の幼い子どもたちが乗り込み、有事が迫る沖縄から九州に向かっていた疎開船「対馬丸」が米軍の魚雷攻撃で沈んだ。いかだに乗って海を6日間漂流し、助かった沖縄県大宜味(おおぎみ)村の平良啓子さん(88)の耳には助けを求める子どもたちの声が残る。1400人あまりの命が海に消えた。悲劇は、海で隔てられた島からの避難の難しさを物語る。